離婚体験談:子どもの幸せのために

主人とは、職場結婚でした。妊娠を期に退職し、出産。それからです。

経済的に困窮し、子どもに絵本も買ってあげられず、第2子を妊娠中でしたが、2才の子どもと煮干しをしゃぶり、貧困極まりない状態でした。

主人の女性好きへの嗜好も限度を超え、働いてくれと言われ、子どもを保育所に預けさせろと役所に怒鳴りにいったり、気に入らないことがあると食事を机ごとひっくり返す短気な人でした。

第2子を妊娠したときは、なんでお金がないのに子どもを生むんだといって、働けない状態になった私が責められました。

もしかしたら私が1人で働いていた方が子どもの将来が少しでも助かるのではないかといつしか考えるようになりました。

家庭裁判所で、夫婦円満調整をしましたが、調停員さんからご主人は変わらないと言われました。私が変わらなければと思いましたが、やりようがなく、夫婦円満調整から離婚調停へ変わりました。

姑から上の子だけがほしいといわれましたが、私は兄弟は離したくなかったですし、あくまで、夫婦の問題として話し合いたかったのです。

しかしすぐ主人は激昂します。

調停でも話し合いにならず、私には当時第2子妊娠中で、収入がないため、親権について心配がありましたが、母親の方がよいと認めていただけました。

私は慰謝料は主人は経済的にきびしいでしょうし、放棄しました。ただ子どものために養育費はしてやってもらいたいと調停員さんを通して話し合い、養育費を決定し、現在も支払いをしてもらっています。

離婚が決まった時、亡くなりましたが父からグッドラックという本をもらいました。

何がしあわせかを問うメッセージだと思いました。
父が、言いました。(旦那が)いてくれるだけで、助かることはないのかと…

お父さんを子どもたちから奪ってしまうんじゃないかと罪悪感でいっぱいになりました。

2人の子どもを抱きしめながらシングルマザーとして12年経ちました。

生活は少しは助かりましたが、本当に大変です。

夜中、ハンドタオルでは足りなくて、バスタオルで涙がいっぱいでて、それでも必死に働きました。

並大抵ではありません。

私には親族が遠くて支援が得られなかったので、子どもが病気のときには病児保育につれていき、やりくりしながら何とか働いて生きてきました。

派遣の時は派遣の次の仕事が決まるまで日雇い労働、正社員だと残業で子どもに負担がかかる。

会社では社員としての責任があり、家では親としての責任があります。

必死の一字に生き抜いてきました。

私の場合は再婚は考えず、自分がお父さんになりお母さんになり、働いて子どもを育ててきました。

涙もたくさん流してきました。子どもの成長がなりよりも幸せです。離婚は人生にとっても大変なことです。

何がしあわせか、何が大切か、家族とは何か、いまでも年を重ねるにつれ、考えるようになりました。

周りからみたら、主人もいつか改心してよくなったかもしれないと言われるかもしれない、離婚して不憫に思われるかもしれませんが、私は、幸せです。